おかげさまでリサイタル!❷
さてリサイタル後半についてお話ししましょう!
再び大西先生の解説から始まります。今回も会場を大いに沸かせていらっしゃるではありませんか!もっとも普段も大西先生とお話ししていると笑いが尽きません。
そのおかげさまで、私は後半もにこやかに登場できました。
後半はマズルカ作品33の2番と3番から開始です。これを選曲したのには理由があります。
19世紀前半のパリの音楽界では、まだマズルカという舞曲を誰もが受け入れることはできなかったのです。リストは自身がハンガリー人なので、東ヨーロッパの民俗的な旋律や舞踏、さらに民族の特徴まで、つまりスラブ系の中でもポーランド民族について正確に認識していました。
でも西側諸国においては、ベートーヴェンの交響曲が1830年以後ようやくパリ音楽院管弦楽団(現在のパリ管弦楽団の前身)によって演奏されるようになり、ピアノ音楽においてはクレメンティ、チェルニーあたりが一般的なレパートリーだったでしょう。規則的で単純な3拍子のワルツは大流行でも、マズルカは受け入れようもなかったことは十分想像ができます。
それをまさに象徴するオペラ作曲家マイヤーベーアとショパンの有名なエピソードがあります。本文(ショパン プリンス・オブ・ザ・ロマンティクス)第13章「愛の終わり」の188ページに書かれています。
ある日ショパンが弟子にマズルカ作品33−2ハ長調のレッスンをしている最中にマイヤーベーアが入ってきて、
「この曲は2拍子だね」とマイヤーベーア。マズルカは3拍子であって、2拍子のわけもないけれども、リズムが揺れてテンポルバートするためにマイヤーベーアには2拍子に聞こえた。
ショパンは烈火のごとく怒りだし、鉛筆の背でピアノを叩いて3拍子のリズムをとりながら「これは3拍子だ」と叫んでも、マイヤーベーアも譲らず「いや2拍子だ」の応酬が続き、ついには弟子を残してショパンは部屋から出て行ってしまった。
どうやったらこの作品33−2が2拍子に聞こえるか、ずいぶん取り組んでみたのですが、よほど拍を偏らせてずらさないと、ブランコが揺れるような2拍子にはなりようがないという結論に至っています!
そのようなわけで、このマズルカは本に因む曲として後半最初に。2曲目のニ長調のマズルカはよく知られる曲で、私は大好きです。「野原で遊ぼう、野原で踊ろう」とイメージしています。本当にこのマズルカは素敵💓案外難しいのですけど。
この作品33−2は長く弾いていますが、今回練習してやっと、これなら出せる!と良い感触を得ることができました。以前ポーランドで弾いた時、ピオトロフスキに、「オイ、ショーコ、左手のリズムが強すぎるよ」と言われたこともありました。今はそれを改革しています。
さて次は、いよいよバラード第2番です。ショパンの作品でこれほど極端なコントラストを持ち、激しく2極化する構成の曲はこれだけです。穏やかで牧歌的なアンダンティーノの部分。激しく猛り狂うプレスト・コン・フォーコ。その間の繋ぎはない。
それだけではなくもっとも大きなナゾは、この曲の調性です。冒頭こそヘ長調ですが、全体を支配しているのはイ短調で、最後の激しいコーダもイ短調、最終の集結もイ短調で終わる。なのに『バラード第2番ヘ長調』なのです。
この曲の好き嫌いもはっきりと分かれるところでしょう。あなたは?。。。と問われるなら、熱烈に好き❤️とは言わないが、限りなく魅力を感じます。そしてチャレンジの曲。技術的にこれならと思えるところまで行くのは長く遠い道のりで、それを折々に出して更新しながら生涯弾いていける曲。
今回も練習していて新たな和声的な発見がありました。そっか、ここはずっと減7が転回しているだけなのね。なら力まず弾こっ!以前はずいぶん頑張って弾いていたけど、無駄なことだったのね。。。。なんていう発見です。楽譜って宝箱のよう。いくらでも後から後から新たなことが見つかる💗優れた作曲家の曲は途方もなく大きな財産だなぁ、なんてことにも今更気がつくのです。
次の曲は『子守歌作品57』。子供に縁がないショパンが子守歌?と思う向きもあるでしょうか。ショパンとジョルジュ・サンドが幸せな関係を築いていた頃、二人が共に可愛がっていたポーリーヌ・ヴィアルドというメゾ・ソプラノの歌手がいました。
ポーリーヌがコンサートツァーで出かける時に、その娘をジョルジュ・サンドとショパンが預かることがあり、ショパンはそのベビーちゃんにメロメロだったそうで、その頃に作曲されたのがこの『子守歌』だったとされています。
ポーリーヌの姉のマリア・マリブランはヨーロッパ随一のソプラノ、メゾソプラノ歌手でしたが、28歳の若さで事故が原因で夭逝。父親のマヌエル・ガルシアも著名なテノール歌手というゴージャスな家族でした。
ショパンの系譜を受け継ぐピアニストたちは、この曲をとても大切に弾いてきました。例えばショパンの孫弟子になるラウル・コチャルスキは5回も子守歌を録音しています。子守歌を5回!!!! そのこだわりは何だったのでしょうか。
19世紀から20世紀にかけて、『子守歌』をショパンのピアニズムの真骨頂として多くのピアニストがレパートリーにしていました。ショパンの変奏や即興の手法が垣間見られるからでしょうか。
左手のバスと右手の装飾的なメロディの音程が、3オクターブ半から4オクターブ半程度の開きがあるので、ピアノからもっとも美しい響きを引き出すことができます。音楽学者なら周波数や倍音の数字で証明できるのでしょうが、私は耳を頼るだけ。
さぁ、そして最後の曲はバラード第4番Op.52です。音大生の弾きたい曲ベスト5には必ずエントリーするのがこの曲。そういう私も弾きたくてたまらなかった!
私にとって何が羨ましいかって。。。この曲を献呈されたロスチャイルド男爵夫人シャルロット・ド・ロスチャイルドBaroness Charlotte de Rothschild (6 May 1825 – 20 July 1899)は、ショパンに1841年からピアノを習い、この名曲と、その上さらにもっとも人気の高いワルツ嬰ハ短調Op.62-2と両方の曲の献呈を受けていることです。https://en.wikipedia.org/wiki/Charlotte_de_Rothschild
私がある年の夏、パリのオルセー美術館で全く偶然にこのシャルロット夫人の肖像画を見つけて、感動のあまりその絵の前に小一時間も立ち尽くしてしまったことは以前書きました。
余談ですが・・・シャルロットの夫ナタニエル・ロスチャイルド(ロートシルド)男爵は、本業は銀行業だったと思われますが、ブドウ畑を所有してワインを作り始めた人物でもあります。高級ワインとして有名なシャトー・ラフィット・ロートシルドは現在も大変な人気で、2000年ものは1本20万円とワイン屋さんのページにあります!
バラードといえばステージでは3番を取り上げることが多く、第4番は計り知れない魅力と圧倒的な芸術的価値に気圧されて重たく感じていたのですが、またそこに魅力を再発見。
作品50番代に入って華美な美しさから遠ざかり、枯れて内向する傾向が見られ、それでいて、これだけ見事な構成を持つ作品は他にはないと思い直しました。
バラードはソナタと似たような主題構成を持ち、第1テーマと第2テーマが提示されて、その二つのテーマは変容を遂げていきます。
第1テーマが再現される時の複旋律ポリフォニーは、絡まり合う糸がほんの少しずつほどけ、また次の絡まり合いがわずかずつほどけていく。不穏な暗闇から手探りで明かりの方へ。不安から心の平安を少しずつたぐり寄せる過程が私たちを魅了してやまない部分です。
このポリフォニーを境にして、曲は大きく変貌を遂げて大クライマックスを経てコーダへとなだれ込んでいきます。バラ4の最高の魅力であり魔力ここにあり!
学生の頃はそんな詳しい構成はよくわからないけど、とにかくなんかこの曲が弾きたくてたまらないっ!とただただ夢中で背伸びして弾く。そして月日がたってもなかなかこれでいいのかどうか、自分のテクニックの限界も感じつつ模索し続ける。
この曲に一生かけて取り組んでもちっとも惜しくないと、ピアニストなら誰でも思いながら、いつの日か掴む時がくると信じて、それをたぶん生涯追求する。それがバラード第4番でしょうか。
で、あなたは今どの段階?と聞かれたら、1回1回何かしら私なりの発展を感じています、と答えたいです。
アンコールは、軽やかに、サロン的な魅力たっぷりのパデレフスキ作曲『メヌエット』を選びました。これも何度か弾いていて、今回はバスをかなり絞ってペダルも減らし、軽やかに、を心がけて作りなおし、オシャレに💖締めくくりました。
調律はヤマハの米澤さんにして頂きました。絶対的に信頼しています!
みなさまご来場ありがとうございました!
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