ウィーン便りその4 アルベルティーナ美術館
18時を過ぎて暗くなったウィーン。とてもステキです。
アルベルティーナの前に馬車が停まって一幅の絵のよう。
ウィーン。ハプスブルグの統治哲学が貫かれたウィーンという特殊な存在。
当時の栄華が至るところに感じられ、一つ一つ明かりが灯る建物の壮大さにも目を奪われます。。
ウィーンはある意味で退屈だと言われる所以は、外面的な変化のなさかもしれません。それが私達を魅了するので、ずっとそうであって欲しいのですが。
東欧の国々が仮に旧ソ連の体制化に入らなかったとして、こうはなるはずもありません。しかしどこか共通する雰囲気が漂うことは確かです。
以前にウィーンのカフェに入った時のこと、前世紀から抜け出してきたようないで立ち、杖、巻きアップのヘア、首元にはブローチ、古めかしいスーツを着こなす初老のご婦人が1人でお茶を飲んでいるのを見かけました。それが1人や2人ではなく、何人も見かけたのです。戦後の50年代の頃から変わってないのではと思われるファッション。映画のワンシーンを見る思いでした。
ショパンがウィーンに出た1830年。シュトラウスのワルツを踊りまくるウィーン市民にあきれ、“快楽の追求に堕落したウィーン市民”と家族に書き送っています。1815年ウィーン会議の副産物でもあるダンスホールや『ワルツ』に馴染むことなど到底できなかったショパン。
アルベルティーナ美術館は王宮の一角で、オペラ座のすぐ裏側にあって、そのテラスからの眺めがまた格別!オペラもこちら側からの方が全景が美しくみえます。
眼下に見えるカフェ・モーツァルト!いいなぁ、ちょっとあそこでお茶を飲んでみたいわ。そうだわ、この建物はザッハホテルのはず。オペラのとなりですもの。裏側にカフェ・モーツァルトがあるのね。ここでザッハトルテを食べたらステキだろうなぁ。。。。!
うっとり。。いえいえいかんと我に返る。
まもなく19時。あと2時間しかないけれど、とにかく入場します。ヨーロッパに到着してまだ2日目だから、私の体内時計は夜中の3時なので、さすがに眠い〜。でもざっとでもいいから見ておこうっと。
ここで見ておきたいなと思うのは、ズバリ、ファン・ゴッホの私の知らない絵。
あとは印象派からピカソ、カンディンスキーまでものすごく幅広い膨大な数のコレクションなので、今回は下見のつもりで。王宮の名残りの内部も雰囲気を知るために。。。
1週間に1日、金曜日だけ9時まで開いていてよかった。コロナウィルスのせいなのか、いつもこうなのかわかりませんが、人は少なめで、どの絵にも近寄って頬ずりできそうなほどです。(本当にそんなことしたら、どこからか監視員が飛んでくる!)
ズバリ、ファン・ゴッホと言っても、そこにたどり着くまでにはたくさんの誘惑ありです。
ピカソもホアン・ミロも目に入るものみな、じっくり絵の前に立ち止まって鑑賞したいけれども、次回にとっておくことにします。
いつでもそうしています。また来たいところは、何かをとっておくように。。。!
そしてファン・ゴッホの3点です。
こんな?もあるのね。もう種になっているんだわ。地味な色合い。すぐそばで見ると、何が描かれているのかよくわからないくらい全体が同じトーン。
以前ポーランドでは、この種になった直径20cmくらいのひまわりが夏頃からいっぱい売られて、みんなこれを抱えて種を食べながら歩いていました。かじった外側はそのままポイポイ道に捨てながら・・
ミレーの種を蒔く人と同じ構図のゴッホの絵もあるのね。
なぜか畑の光景を目にするととても心が休まり、ノスタルジーを感じる。この光景を素材にする画家たちが他にもいるのは、心休まると同時に、未来への可能性をこの種まきに託すからでしょうか。
それからファン・ゴッホらしい色使いの『夜のカフェ』。
一見しただけでは、なぜ彼が、夜のカフェをして人を破滅や狂気に向かわせ、犯罪の象徴として書いているのか、まったくわかりません。テーブルに半分つっぷしているうらぶれた様相の2人が、強いて言えば、堕落を思わせます。
犯罪に匂いも、狂気も、破滅への道も、どこに表現されているのだろう。どうやって感じ取ることができるのかしら。
それより、見る人の側に扇形に開いた構図が美しい三角形を成して、あたかも今私がこのカフェに足を踏み入れたような錯覚を覚えることに驚きました。
そうしているうちには。。。まもなく9時です。他のホアン・ミロも、ピカソも、カンディンスキーも、モネも、モジリアニもざっと目に入れて、次に来る時までとっておくことにして、アルベルティーナを後にします。またね!
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