カトヴィツェの今! Katowice Now!!
Unforgettable day in Katowice!
カトヴィツェと言えば、まずはヤシンスキ先生の街ですが。。。。
今回は友人のRadek, Lucyna, Kasia が、黒い煙で栄えた炭鉱の町から脱却して、新しく生まれ変わった、ビジネスと建築の先端を行くカトヴィツェを見せてくれました。
私たちの向こうに見えるのが、ポーランド国立放送交響楽団の本拠地コンサートホール。ポーランドでも最高の音響を誇るホールの一つで、日本の永田音響設計との共同設計です。
街のど真ん中にあった石炭採掘場を再利用したシレジア博物館。絵画ギャラリーと、シレジア地方の歴史をたどる博物館と両方の構成です。
ワルシャワはロシアの支配下になりましたが、ここカトヴィツェはプロイセン(ドイツ)の支配下に置かれ、ドイツ人として生きる道を選ぶか、ポーランド民族として残るか、人々は苦渋の選択を迫られたのでした。
当時の身分証明書は、ドイツ人になりきるかどうかによって4段階に色分けされて発行された。。。という恐怖の時代。
20世紀初頭の炭鉱夫ばかりが住んだ集合住宅の地区がニキショヴィエツ。窓枠が赤く縁取りされているのが特徴で、今はトレンディな地区になっています。
それらがKatowice Now!!
帰りはワルシャワまでポーランドの新幹線Pendolino?に初乗り。日本の新幹線ほどスピードは出ませんが、とても快適でした!
Radekたち、本当にありがとう♡
楠原祥子
街のど真ん中にあった石炭採掘場を再利用したシレジア博物館。絵画ギャラリーと、シレジア地方の歴史をたどる博物館と両方の構成です。
ワルシャワはロシアの支配下になりましたが、ここカトヴィツェはプロイセン(ドイツ)の支配下に置かれ、ドイツ人として生きる道を選ぶか、ポーランド民族として残るか、人々は苦渋の選択を迫られたのでした。
当時の身分証明書は、ドイツ人になりきるかどうかによって4段階に色分けされて発行された。。。という恐怖の時代。
20世紀初頭の炭鉱夫ばかりが住んだ集合住宅の地区がニキショヴィエツ。窓枠が赤く縁取りされているのが特徴で、今はトレンディな地区になっています。
それらがKatowice Now!!
帰りはワルシャワまでポーランドの新幹線Pendolino?に初乗り。日本の新幹線ほどスピードは出ませんが、とても快適でした!
Radekたち、本当にありがとう♡
楠原祥子
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