Bukowska先生のお墓参り
ブコフスカ先生が私たちのもとから去って5年。
あの年の夏、マチェックと3人でワルシャワへ車で帰る途中、お気に入りのZajazdドライブインレストランに立ち寄りました。
私は何を食べたかしら。アヒルのりんご添えだったか、アイスバインだったか。先生はレバーのお料理。
食べ終わって車に戻った時、一陣の風がさぁっと吹き抜け、私の髪が風になびいたのです。
「あら、ショーコ、今は髪が長いのね。きれい。あなたが見えるわ。」
Masz teraz dlugie wlosy. Ladne. Widze Cie.
糖尿病の症状でほとんど視力を失っていたのに、光の加減か、それとも不思議な力が働いて視力が一瞬よみがえったのか、そう言って私に顔を向けられたのでした。
ブコフスカ先生との最後の10年間はとても貴重な歳月でした。
ワルシャワに行くと、お昼ごはんを一緒に食べて、コンサートツァーのお話、指揮者の話、友人のピアニストの話、録音の話、それから夜までキッチンに座って尽きることなくおしゃべりをしていました。
私がシドニーに住んでいた頃、シドニー音楽院で特別講師をされていた、モスクワチャイコフスキー音楽院のレフ・ブラセンコ教授のレッスンを受けたことから、ブラセンコ先生とベラ・ダヴィドヴィチやヤコブ・ザークの関係にまで話が及び、そこからロシアのピアノ界への私の興味は、さらに広がったのでした。
さて、今日は門下のシフィエセとイオラとマチェックとお墓参りです。
ショパンの両親も眠る広大なPowaski霊園。その新しい区域に先生は眠っています。社会に貢献の大きかった著名な方々の一画です。
すぐ前には『スモレンスクの悲劇』と言われる、大統領夫妻はじめ政府関係者96名が犠牲になった飛行機墜落事故の犠牲者のお墓があります。
みんなでセッセとピアノ型の墓板のお掃除をして、お水をきれいに流して拭き取って。
何をするにもとても愛しい気持ち。大好きだった先生とお話しできるから。
きれいに艶も出た石の上にお花とロウソクを置いて出来上がり。
そして各自お祈りです。
私も新しいレパートリーや、お仕事の報告と、みんなを見守って頂くお願いをしました。
ブコフスカ門下は多士済々にそれぞれ活躍しています。
シフィエセはリトアニアのヴィルノとカウナスの音楽院で教えながら、最近はショパンとオギンスキをレパートリーにしています。
イオラは歌の伴奏で大活躍。ワルシャワのショパン音大でも教えています。イオラのご主人、我らがヴォーデックはジャズに転向して4年前にグラミー賞に輝き、今はポーランドを代表するアーチストです。今日はショパンの心臓が収められている聖十字架協会で、オラトリオをアレンジしたコンサートがあり、目下リハ中。
マチェックはショパン音大の室内楽教授。
こうして集まれるのもフットワークが軽いイオラのおかげです。
よかった。いいお墓参りになりました。先生、またね。
楠原祥子
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