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松本でプレイエルとエラールのピアノで練習しながら、音楽の“真実性”について考えました。
それはどういうことなのかと言いますと、
音楽の“真実性の追求”は、古楽器やピリオド楽器の存在価値が確立されるにつれ、非常に重きを置かれるようになった音楽美学の一端です。
建築、美術、文学など創造全般における時代の美学は、必然的に音楽にも影響を及ぼしていて、演奏の際には楽器の個性の他にも考慮されています。一般に時代様式といわれるものです。
様式感は、それぞれの時代に自然発生的に生まれたもので、その表現には独自性や制限が生じます。
バロック期のように現代から遡って遠くなるほど、様式感は重要視され、様式からはずれた演奏は批判の対象にもなるし、実際違和感が残ることがあります。
古典派やロマン派の時代は、楽器が飛躍的に発展をとげたことが、様式にさらに変化をもたらしています。
例えば、ベートーヴェンの32曲のピアノソナタ。
1、2、3番と、29番『ハンマークラヴィアソナタ』では、同じ4楽章性ソナタであっても、様式がまったく異なることが明らかです。
ショパンにしても、青年時代のセンチメンタルな要素を含んだ数々のポロネーズと、最後の大作『幻想ポロネーズ』では、作曲に使用したピアノが格段の進化を遂げたこと、年齢とともに作風が変化したことなど、複数の理由によって、まったく違う様式を持つ作品に仕上がっています。
こういった“様式”の美学を思考することは、“音楽の真実性”の追求と表裏一体をなし、演奏の解釈がより多様化することにもなります。
誤解のないように書くものですが、もちろん、現代の巨大なフルコンで奏されるバッハやベートーヴェンやショパンが“虚位”なわけではありません。
楽器の発展が続くことで、作品が書かれた時の響きと今の楽器の響きに差異が生じ、音楽そのものも多少の変化があるということです。
カフェ・プレイエルにある2台は、両方とも20世紀初頭に製造された楽器なので、ショパンの作品を演奏する際には、作曲年代に合致したピリオド楽器とはいえませんが、現代の巨大なフルコンとはまったく違う響きと音色を持っています。
最近は特にピアノの巨大化が進んでいるせいで、フルコンを上回る3メートル超のピアノが製造されるようになり、これまでにない響きを生み出すようになりました。
そういった超大型ピアノは、楽器を鳴らすことでその良さが生きてくるのであって、19世紀に響いた音、またはもっと以前のモーツァルトの時代に宮廷で響いた音とは、響きに大きな相違があります。
ショパンがワルシャワ時代に使用した『ブフホルツ Fryderyk Buchholtz』は、繊細な響きのウィーン式アクションのピアノで、彼の青年時代の作品は、その響きから生まれた曲、その響きに見合った作品なのだ、と言えます。
青年時代のブリリアント様式の曲も、Buchholtzでは音が瞬く間に消滅していくので、響きの減衰を補うようにたくさんの装飾が施され、それでも決して華美ではなかったかもしれない。
数小節ごとに繰り返す転調も、響きが薄ければすっきりとクリアに移り変わって、調性感がより際立っていたかもしれない。
そういったことを考えると、演奏のアイデアや解釈というものは、楽器の響きを得ながら実現していくものなのだ。。。
と、そんなことをプレイエルとエラールを弾きながら考えたのでした。
 
さて、今回は松本城にとても近いホテルに滞在しました。このホテル、以前は日本勧業銀行松本支店だったそうで、
朝食ルームが目を見張るほど立派でした。
朝食はビュッフェなので、まずジュースの前でどれにしようか迷っていたら、料理長とおぼしき人が、それとなく私の様子を見ていたのか、気が付くと横にいらっしゃる。
「リンゴジュースにされるといいですよ。信濃のものですから。甘くてね、美味しい。」
「はい、そうします。」
「今日はね、ジャスミンとローズのファーストフラッシュのティーがあります。これはぜひ飲んで下さい。」
「???。。。」
「やわらかい葉先だけ摘んだものですから。」
そう言いながら、もう上品なカップに注いで下さっています。
「サラダは是非ホウレンソウを召し上がって下さい。レモンドレッシングをかけて。」
「レモンドレッシングですか。わかりました。」
まだ続くのです。
「最後にね、必ず冷茶漬け召し上がって下さい。自信作です。」
「冷茶漬けね。。。はい、頂きます(朝からお茶漬け?と内心思っている)」
結局。。。
料理長さんにお奨めいただいたものは、どれも確かに美味しかったです。冷茶漬けもです!
楠原祥子

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