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この哀しみをどう表わしたらいいでしょうか。10月20日、ピアニストJanusz Olejniczakが死んでしまったという事実をどう受け止めたらよいのか、衝撃を受けるとともに、深い哀しみを感じています。

私が敬愛してやまないオレイニチャクの音楽を、これからは過去のピアニストとして聴かなければならないのです。

1970年ショパン国際コンクールで、パレチニとともに入賞。この会は、優勝は🇺🇸アメリカ人のギャリク・オールソン。第2位が我らが内田光子さん。第3位にパレチニ。第4位は確かエマニュエル・アクス。そしてオレイニチャクが続きました。

この会の入賞者は、全員が今でも世界的な活動を展開しているという実にレアな、レベルの高さもさることながら、クラシック音楽の世界で足を踏み外すことなく、その後半世紀にわたって着々とキャリアを築き上げて、頂点に居続けるという離れ業をやってのけているすごい人たちばかりです。

その中で、人生の荒波に最も揉まれたのがオレイニチャクではないか。本当のところは知らないけれども、アルコール依存、医者だった息子の突然死など、そういった人生の不幸と困難をピアノで埋めてきたのではないか。

アルコール依存については、アンジェイ・ヤシンスキ教授が審査委員長を務めたショパンコンクールの時、審査員だったオレイニチャクは、ある日フィルハーモニーーに姿を現さなかったので、ヤシンスキ教授がコールしたところ、飲んでしまって起きることすらできないという状態で、その日は審査を休まざるを得なかったということでした。これは私自身がヤシンスキ教授から直接聞いたので作り話ではありません。

そんなでも、私はオレイニチャクのマズルカとポロネーズが好きなのです。

実は彼もショパン音大はブコフスカ先生の門下で卒業していて、光栄にも兄妹弟子です。ブコフスカ先生が、コンサートをドタキャンすることで有名だったオレイニチャクの代わりにいったい何度弾かされたことかと仰っていました。これもブコフスカ先生自身から私が聞いたことで、本当の話です。

もっとすごい話があるのですが、今日は彼の名誉のためにここに書くのは控えておくことにしましょう。いつか思い出として書いてもいいかなと思えるときが来たら書くことにします。

とにかく。。。マズルカを聴くなら、ブコフスカ先生とオレイニチャクでした。ポロネーズもそう。往年の彼のポロネーズはすごい。

オレイニチャクが語っていたことがあります。何で見たか正確に覚えていないのですが、彼が語ったのはこんなことでした。

「ピアニストの中にはある年齢がいくと、空間に響く音の広がりの時間を支配できるようになる人がいる。でも誰でもがではない。できない人も多い。」と言っていました。彼にはそれが出来ていて、その達人だったと思う。

2年前、ショパンの生家で行ったEwa Leszczynska(ソプラノ)とのショパンの歌曲のコンサート。ここでのオレイニチャクの演奏は至芸の域に達していると感じました。Youtubeにあります。

今年夏にワルシャワで開催された音楽祭『ショパンと彼のヨーロッパ』で9月1日に演奏したばかりだったのに。

2024年10月20日、唐突に聞かされた『オレイニチャクが死んだ』というニュース。

葬儀の告知

来週29日火曜日11時、クラコフスキエ・プシェドミシチェ通りにある訪問教会で葬儀が行われます。そこはショパンが青年時代にオルガンを弾いていた教会。

そしてショパンの心臓が安置されている聖十字架教会は、少し離れていますが斜め向かいにあります。オレイニチャクは天国でショパンと何を話すかしら。

R.I.P.

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