桐栄くんのピアノリサイタル 楠原祥子
桐栄哲也ピアノリサイタル 2月14日(日)14時 東京文化会館小ホール
桐朋の後輩の桐栄くんのリサイタルon バレンタインデー。この日が来るのが待ち遠しい思いでした。なにせプログラムには私の好きな曲ばかりが並んでいるのですから!
演奏連盟のオーディションの前に聴かせてもらい、それから大いなる進歩があって頼もしく思いました。
モーツァルト:幻想曲ハ短調
シューマン:クライスレリアーナOp.16
スクリアビン:ソナタ第4番Op.30
リスト:ソナタロ短調
このプログラム、ロマン派3人の作曲家、ショパン、シューマン、リストが交じり合った日々を想像して胸が躍ります。ショパンは演奏プログラムにありませんが、これが献呈の図になっています。
ショパン 『エチュード作品10』→リストに献呈
『バラード第2番』→シューマンに
シューマン 『クライスレリアーナ作品16』→ショパンに
リスト 『ソナタロ短調』→シューマンに献呈
プログラムの中から、シューマンのクライスレリアーナについて私的なお話しを少し。
クライスレリアーナをいったいどう表現したらよいでしょう。この曲を強烈に好きになったのは意外に近年のこと。それまで強い思いが私をとらえることはなかった。それが或る時から激しくこの曲に心揺さぶられるようになったのです。
一つには….献呈の背景を詳しく知った時に、ロマン主義を知り、シューマンの熱き想いや奇想天外な空想的音楽物語も一緒に知ることで、私の中でクライスレリアーナに光が差したといえます。
さらに大きなきっかけの一つは…..ポーランドで聴いたタムレヴィチ教授のライブ演奏だったかもしれません。その演奏は、私が知っていたそれまでのクライスレリアーナとは異なり、想いのたけをぶつけるような激しさや、くるおしいほどの愛おしさはむしろなかったように思います。
代わりにあったのは何だったかと言えば、音楽のミクロコスモス、とでもいうべきか、地上の営みのすべてを教授の大きな手の中に見たのです。
林があると木々の枝には鳥が羽を休める。リスは木立のまわりを遊び、幹をかけ上る。落ち葉が土を覆い隠している。そっとめくると、その下には小さな虫たちの世界がある。小さなコスモス。音楽がミクロコスモスであるなら、それをそのまま見たと思えたのです。
タムレヴィチ教授の演奏は、エリッソ・ヴィルサラーゼを受け継ぐものなので、シューマンには深い愛があるはず。センチメンタルさは極力抑えられていたが、胸の奥深くにまで差し込むような切なさが聴こえてきたのでした。
そしてもう一つは…..
ショパンの端正で均衡のよい音楽と比べた時、シューマンは、どれだけ感情をおもむくままに音にゆだねたことか。音が怖いほど情感そのもので、泉のようにほとばしり出る。ショパンのたたずまいに慣れ親しんでいた私には、愛しさ、切なさ、激しさがめくるめくようにかわるがわる出現しては消えていくクライスレリアーナは衝撃でした。
さて……
桐栄くんのクライスレリアーナは、丁寧に切々と語られるクララへの想いでした。格調があり、間合いに詩情が漂います。でもそこに迷いがある。語っていいのか、胸に秘めておくべきか。この迷いをこれからどう対処していくのかな。。。そう思いながら聴いた8曲でした。
終演後。まずは恵ちゃんと…….!
おめでとうの嵐……!
さらにその後はどうなったか…… !
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。