海老彰子さんとヤブウォンスキのインタビュー
帰国の日、審査員の海老彰子さんとクシシュトフ・ヤブウォンスキにゆっくりと話を伺いました。
コンクール中、特にファイナルから受賞者決定の頃はわさわさとして、様々な情報や憶測や何やかやが飛び交い、プレスも一分一秒を争って情報に飛びつき、審査員は仕事に追われ、ちょっとの隙きをついて情報を求められで、とてもナーバスな状況です。
それに審査員のみなさんは何か聞かれると、話せることと、話してはいけないこととのきわきわを、相手が何の媒体に書くか次第で小出しにしなければならず、神経質になりがちです。
コンクールが終了し、入賞者演奏会の第1回目も終了すると、まだ2回め、3回目と残ってはいますが、コンクールも本当にお開きになった感があります。
そこまできてようやくゆっくりとコンクールを振り返ってお話を聞くことができるというものです。
海老さんとはホテルで。毎回のことですが、審査員が泊まるのはソフィテルで、このホテルのロビーにしばし居ると、必ず審査員のどなたかとお顔を合わせます。審査の時とは違って奥様同伴だったり、ラフなスタイルだったり!
ヤブウォンスキはその日はウィーンに用があって夜にワルシャワにトンボ帰り、私は夜遅くワルシャワ出発だったので、タイミングを上手くすり合わせてショパン空港でミーティング。
れれ?コーヒーが入れ替わっている!私が飲んだのは小さい方で、ヤブウォンスキが大きい方だったのに変ね。
いえ、重要なのはお話です。終わって一段落したからこそ、審査員の方たちも振り返って自分の思うところをかなり率直に話して下さいます。
海老さんは「音を作る」こと。それを強調され、音作りに自分を投影している入賞者の優れた才能を高く評価したいと仰っていました。
また「ネットの発展によって人々の感覚にも変化が起き、大量の情報を得ながら生活している現代にあって、嗜好の多様化が進み、人間の感覚を変えている。このことは今回のコンクールに大きく現れていたのではないか。」
私もそれを感じました。良くも悪くもそういった社会の傾向が演奏に反映することは否めません。ましてやコンクール出場者は若いPC世代、ネット世代なのです。
「入賞しなかった優秀な演奏者のうちでも、エヴァ・ゲヴォルギアンは技術といい、強靭な精神力といい、17歳では考えられない演奏をしたと思う。しかし音の掘り下げ方が足りず、音に色がないと感じてしまった。昨年スイスのマルティヌーで開催されたコンクールの審査をした時から、ゲヴォルギアンの天才ぶりは聴いていた。入賞しなかったことが、むしろこの先の4年間の環境のためによいことなのではないか。無心でさらに磨きをかけることができると思う。」
エヴァ・ゲヴォルギアンがまったく入賞しなかったのは、あれだけの才能なのに惜しいとする一方で、下位で入賞するくらいなら、次でもっと上をのぞむべきだという声を聞きますし、私もそれだけの大器になるのではという期待を持っています。
またダン・タイ・ソンチルドレンの一人、JJブイについて、「1次予選のエチュードが素晴らしかった。その後の彼の演奏は、エチュードで成り立っていると感じられた。」
なるほど。。。さすがに海老さんの耳は鋭く、読みは深いと思いました。
私はJJブイのファイナルを聴いていて、演奏全体の目覚ましさはなかったけれども、滑らかなスケールやアルペジオの折返しのテクニックの優れた品質にすっかり聴き惚れてしまったのです。
楽曲に使われているスケールやアルペジオといったパーツがどれほど美しくても、それは構成要素の一つに過ぎない。全体の構築をみるべき、ということですね。そういう弾き方、聴き方をしなければいけない。
うぅぅぅぅん、まだまだ我は未熟なり。⤵反省。
さて一方ヤブウォンスキは・・・
「はたして、美しいレガートが今回のコンクールで聴かれたかどうか。今までと違う解釈を作り出すことに腐心していなかったかどうか、それを危惧する。」
とのっけからシビアなお言葉です。
「私は今回のコンクールは総じて好みではなかった。」と明言します。
「そこにみえたのは、人と違う演出、作為的で恣意的な音楽作りの連続だった」というのです。「カメラを意識しての表情づくりに配信で聴く人々は幻惑される。目をつぶって聴くと、それは何もない平原同様だ。」
この言葉にも私はハッと胸を突かれました。コンクールに新しいものを求めようとしていた自分に気がついたからです。
「顔をしかめたり変な表情を作ったり、足をバタつかせたりする、あれは何のためだ。レガートで美しいフレーズを作る、それが最上の音楽をもたらすではないか。それでは何か足りないのか。音以外で勝負をしてくる必要はない。」
「ヤシンスキ(ヤブウォンスキの師、前審査委員長)は、このコンクールはすごいテクニシャンを選ぶのでない、革新的な演奏を探すのではない、ショパニストを選ぶコンクールなのです、と審査の前に言っていた。」
「ズィドロン(現審査委員長)は違う方向を考えているのか、それはわからない。しかし少なくともショパン国際コンクールの審査委員長なら、その前に美容院に行ってヘアスタイルくらい整えるべきだ。」。。。(笑)
確かにズィドロン先生はお疲れに見えた気もしますが。。。。下の写真で見ても知っている人でなければ、審査委員長とは思わないでしょうね。
ヤブウォンスキはややユーモアを交えて言いますが、彼の本心はシビアに訴えていることがわかる。ショパン国際コンクールとはどういうコンクールなのか。世界の音楽界にどれほどの話題と影響を与え、かつ守っていかなければいけない伝統があるか。襟を正せ、と彼は切実に訴えているのです。
話を戻しましょう。
ヤブウォンスキの言うことにパラドクスを感じたのは、彼はMacの最上位機種を持ち常にネットの最先端を追っている人物なのに、ショパンの演奏については伝統を追う。
海老彰子さんがまさかネット環境の最先端をお持ちとは思えないけれども、これまでになかった解釈をすんなり受け入れている。
意外なものですね。。。
こうして、私のチェックインタイムが迫るまで熱弁をふるったヤブウォンスキ。
コンクールが終わって一息ついた段階だからこそたくさんの話を聞くことができました。
お二人ともに一聴衆として思うことも率直に語って下さり大変嬉しく思いました。
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