BLOG

ブログ

発表会を終えた翌日、ワルシャワへ飛びました!

10月5日〜15日まで、第2回ショパンピリオド楽器国際コンクールがワルシャワで開催され、第2次予選から聴きに行きました。

10月のワルシャワはもうかなり寒くて、薄いダウンコートが必要で、日本との温度差が最も大きい時。日本はまだTシャツでいられる気候だというのに。

ワルシャワは10月下旬には街が黄金色に染まります。

さて今回は、ハンカがようやくアンジェイの逝去の哀しみをいくらか乗り越えて、お姉さんのドロタと一緒に家に戻って来たので、私も一緒に住ませてもらうことにしていました。

到着して温かく迎えてくれたハンカ。いつものことながらありがとう。

何度も言うのですが、これまで私がワルシャワに行くたび、アンジェイとハンカは温かく迎えてくれて泊まらせてくれたのでした。大好きなモコトフ地区にあるおうち。ホント、感謝してもしきれない気持ちです。

ハンカの家に到着してスーツケースをほどき、やれパソコンを取り出したところ。。。

😰😱😩😭・・・・困ったことが。

Wifiがない😫!!!

アンジェイの逝去に伴い、携帯で事足りるハンカは、Wifiを撤去してしまったのでした。

むむむ。。。これは大問題ですっ。

😭泣く泣く私はアパートを探して借りることにしました。せっかくハンカとドロタと一緒に住めるはずだったのですけど、パソコンが使えないのはいかんせん困るのです。

コンクール会場のフィルハーモニーホールに近いところを徹底的に探して、アパートを見つけて手配し、2日後に移ることにしました。

「あら、本当に引っ越しするの?寂しくなるじゃないの」と言ってくれるハンカ。しかし今となっては、生活にWifiはなくてはならない必需品ですから仕方ありません。。。

そのことはさておき。。。

到着した日の夕方に、ショパン博物館のホールで大変貴重なイベントが催され、早速出向きました。

ワルシャワのショパン博物館

少し前のブログにも書いた「フリーデリケ・ミュラーの手紙」の発見者、ウタ・ゴーベル・シュトライヒャーさんとのミーティングが企画されていました。

フリーデリケ・ミュラーは、ウィーンで演奏活動をしていた優れたピアニストで、1839年から1844年までショパンの弟子になってパリに住み、ウィーンにいる3人の叔母さんのうちの一人に、ショパンのレッスンの様子を仔細に書き送ったのでした。

それらの手紙を曾々孫にあたるウタさんが偶然見つけたのが4年前のこと。手紙の数は100通以上にのぼり、これはショパン学における世紀の大発見です。

今回はウタさんとのミーティングとインタビュー、手紙の一部の朗読、ピアノ演奏と3つ立ての構成でした。

手紙の朗読はすごい臨場感を伴って、会場の雰囲気は一気に19世紀に巻き戻され、誰もが一瞬にして惹きつけられたのでした。

ピアノ演奏は、前回のピリオド楽器ショパンコンクールで第2位になったアレクサンドラ・シフィグートの演奏で、とても情熱溢れていたことは確かなのですが、ピアノの位置の関係で響きが不安定で割れがちでした。

朗読から伝わるショパンのレッスンでの会話や、フリーデリケの緊張と褒められた時の喜び!生き生きと、あたかもショパンのレッスン室に私たちも入り込み、すぐ横でレッスンしているかのように語られ、超満員の会場がとても沸きました。

これらウィーンにいる叔母さんに宛てた手紙から明らかになったのは、

1、ショパンの幅広いレッスンレパートリー

2、音楽に対しての類まれな美意識

特にこの二点。

朗読された3通だけでも、フェルディナント・ヒラーのエチュード、ジョン・フィールドのノクターン、そしてショパンのソナタ第2番が弾かれています。

また、ショパンによる『ピアノ奏法草稿』は未完のスケッチであるのに対して、これらの手紙では、はるかに具体性を持って奏法が示されているとのこと。

そしてさらに!

ウィーンにいた他の叔母さんに宛てた手紙も、今後発見される可能性が大いにあり!という驚き‼️の話。

新たにポーランド語訳の本を買って、ウタさんにサインを入れて頂きました。

ウタさんに、「この本の情報を最初にもたらして下さったのは、桐朋学園大学音楽部に来校されたジャン・ジャック=エーゲルディンゲル教授です」とお話ししたら「そうですか!教授は日本に行って話して下さったのね」と喜ばれました。

手紙を発見したウタさんにサインを頂きました!

それにしても。。。ワルシャワに到着した日からなんてラッキーでしょうか!

この手紙集は基本的にはドイツ語で書かれていますが、ショパンの会話部分はフランス語で書かれたバイリンガルです。いち早くポーランド語訳が出版されて、私にも読めるわけなのですが、早く日本語訳が出版されたら!誰もが待ち望んでいます。

ショパンに詳しいドイツ語ができる人が案外いないことと、この厚みからわかるように大変な分量なので、グループで手がけなければ訳しきれないでしょう。音楽之友社の書籍課に伺った時、誰か訳してくれる人がいたら紹介してください!と言われました。

さて秋のワルシャワの街を少し歩いて、新世界通りを越して、その足で、日本からの先発隊がいるレストランに行って合流し、早速牛肉のタルタルステーキを頂きました!

そんな秋のワルシャワ初日でした。

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。