ショパンワルツ集リサイタル 楠原祥子
12月14日(水)19時開演 第165回トレモロ会主催コンサート カワイ表参道コンサートサロンパウゼ
楠原祥子ピアノリサイタル ショパンワルツ集
≪プログラム≫
パデレフスキ:レジェンド(伝説)作品16-1, メヌエット 作品14-1、ワルツカプリス 作品10-5
ザレンプスキ:グランドポロネーズ 作品6
ショパン:ワルツ集14曲
おかげさまで、ショパンワルツ14曲を演奏することができました!多くの方々にお聴き頂けて嬉しく思っております。本当にありがとうございます。CDも先行発売することができました。
スクールのみなさまにも応援をたくさん頂き、誠にありがとうございます!主催のトレモロ会、ご推薦下さった有賀和子先生、カワイのみなさまにも心からの御礼をお伝えいたします。
さてこのワルツ集、ショパンのワルツ14曲をプログラムに記載するにあたって、さて、どうしたものか。。。と、とても頭を悩ませたことがありました。
というのは。。。。
ショパン自身が出版を依頼したしたワルツは、実は14曲のうち8曲のみです。残りの6曲は、出版の意思がなかったせいで、ほぼスケッチのまま残されていました。ショパンの死後、友人でピアニストのユリアン・フォンタナがそれらを仕上げて出版したのでした。
ポーランド国立版(エキエル版)をみる限り、現在私たちが弾いている通称「別れのワルツ」などは、フォンタナ編曲として過言でないほど、ショパンが残したのはラフなスケッチのみです。事実、ショパンの手によるものではないだろうな。。。と私にすら感じられる細部があります。
となると。。。
子犬のワルツを含む作品64の3曲のワルツ以後は、すべて正しくは『遺作』となるわけです。その“正しく”というのがクセモノです。正しく『遺作ワルツ 〇〇調』として残りの6曲をすべて片付けることが、親切でわかりやすい書き方かどうか。
これはなかなか微妙でやっかいな問題です。
例えば華麗なる大円舞曲。『華麗なる・・・』と付くのは、一般的には、ワルツ1番、2番、3番、4番(通称:猫のワルツ)、5番までがすべて華麗なるワルツ群です。
しかし驚くべきことに、ショパンは。。。
ワルツ1番、いわゆる誰もが華麗なる大円舞曲として親しんでいるワルツにさえ、ごく控えめに『Valse brillante ワルツ・ブリランテ』、つまり『華麗なるワルツ』というタイトルを付けただけでした。他は、実際に曲がいかに華麗であろうが、ただ『ワルツ』としか名付けませんでした。
となると。。。これらも、はたして正しく書くことが適切でしょうか。
今回、最初に主催のトレモロ会に私のプログラムを提出した際、エキエル版に従って“正しく”書いてお送りしたところ、わかりにくいのではないか??という疑問を呈されました。私もそう思いながら提出したくらいですから、すぐに一般的な書き方に準じて書き直しました。
ここで思うことは。。。
作品が発表された後、つまり作品が作曲者の手から演奏家の手に渡ったあと、その曲が名曲であればあるほど、曲の人気が上がれば上がるほど、勝手なタイトルが付いたり、作曲者が意図しなかった解釈がなされることがままあります。しかしそれは、その曲が時空を超えて愛され続けてきた証なのだということです。
ポーランドのマナステルスカ教授からお話を伺ったことが印象に残っています。
通称『別れの曲』で親しまれるショパン練習曲作品10-3について、エキエル版では、これまでの版とはちがう調性になっている部分があります。まさに佳境に差しかかるフレーズで、短調で誰もが親しんできた部分が、やおら長調なのです。多くの人はそこを聴いて、えっ、ナニ?!と我が耳を疑うわけです。
マナステルスカ先生のお言葉はこうでした。
「エキエル版によって、ショパンの真実が新たに私たちもわかったことは有難いことです。ただ、これまで長く親しみ、演奏し、耳にしてきた音は、すでに母のような存在で、母の懐にいる感覚を覚えるのです。」
作曲者の手によるものではない、真実でない音やタイトルが曲に付加されたとしても、時間が培ったことを大切に扱う心を持つ。。。それが広い意味での“演奏”になるのだと感じました。
子犬のワルツ、猫のワルツ、別れのワルツ、他にもたくさんあります。英雄ポロネーズ、軍隊ポロネーズ、別れの曲、革命のエチュード、木枯らし・・etc これらはショパンが意図したタイトルではないけれども、愛すべきニックネームなのですね!
さて、ご一緒した数々のお写真を掲載いたします!(写真撮影FineAllies株後藤英夫さん)
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