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Szafarnia i jej okolice, Golub-Dobrzyn i Obory.
Ziemia Dobrzynska i Chelminska.
シャファルニア村とその周辺、ゴルブ・ドブジンとオボーリへ。
ついに行ってきました!シャファルニアとその近郊の村へ。
ショパンがSzafarniaシャファルニア村で初めての夏休みを過ごしたのは、14歳と15歳の時、1824年と25年のことです。
学友のドミニク・ジェヴァノフスキの故郷で、ジェヴァノフスキ家の領地での初めての田舎生活は、ショパンにとって鮮烈な体験だったに違いありません。
ワルシャワからは北へ250kmほど、トルン周辺のその土地は、当時はプロイセン(ドイツ)領、ロシア領の国境の地でした。
マズルカなどショパンの作品の多くは、根源がポーランドにあるとされ、そのポーランド民族的なるものは、14歳と15歳と2回のシャファルニア村での滞在で培われたと思われます。
青年時代のショパンを知る上で最も貴重な資料となっているのが、この滞在中に両親に宛てて書いた、新聞形式の手紙『シャファルニア通信 Kurier Szafarski』です。4通が現存しています。
初めての田舎体験について、それは楽しげに綴られています!
女の子が歌う本物の田舎のマズルカのことや、オボーリのカルメリ派修道院へ手伝いを遣わしたことも。
「カルメリ派修道院に定期刊行物を買いに使いの者を行かせたところ、その使いは修道院に到着したら混乱してしまい、痔の本を買ってきてしまった。」
とショパン独特のユーモアを交えて書いています。
オボーリ村にあるこの教会は、1617年にカルメリ派修道僧たちによってまず木造で建てられ、その後1627年から42年にかけて石造りに改修し、その後も改築をしながら現在に至っています。
美しい内装が施され、正面のピエタにはつい祈りを捧げたくなります。最近ではサンクチュアルな地としてポーランドの巡礼の地の一つとなっているそうです。
入口上部にはオルガンが設置されていて、ショパンはこのオルガンで演奏しています。
 
 
 
 
 
そして。。。この付近でもっとも大きな村はGolub-Dobrzynゴルブドブジン。
ここで何より有名なのは13世紀に建てられたルネサンス様式の城。美しい旧市街と市場広場もあります。
ショパンの時代にはゴルブはプロイセン領で、ドブジンはロシア領の国境の地でした。
ショパンのシャファルニア通信によると。。。
Wiadomosci Zagranicznych:Pan Pichon byl dnia 26, i r.h.w Golubiu.
国外通信:ピション氏、26日にゴルブに行きました。(1824年8月26日のこと)
このお城は、発祥が13世紀だからでしょうか、中世期の戦のための砦に近い荒々しさが!内部の1階から2階への階段は、馬も上り下りした幅広い木の階段になっています。
この城がホテルになっているのは嬉しいところ!
それはもう絶対的に!ここにお泊りです。
ポーランドでお城に泊まったのはこれで3回目。最初は数年前に演奏会に行ったKrozweki城。
二つ目は2年前にタマラと演奏会をして泊まったビドゴシチの城。そこは部屋があまりに広大で、しかも一人ずつ泊まらされて、お化けが出ると脅かされて、怖くて眠れなかったです。実際夜中に怪しげな物音がしたし。。。
そしてここGolub城。部屋の調度から、どことなくフェルメールの絵を思い出します。
天井が高く、浴室は近代化されていますが、シャワーの水がいい加減い~つまでたっても水のままで、かなり不安になってきた頃、ようやくお湯になりました。管が長いのね、きっと。ショパンに導かれて、モーレツに熱い陽射し☀に照らされながら、私もついにここまで来ることができました!!⛪
ショパンが見たであろうこの農村の風景。
194年も経ってもさして変わらぬであろう景色の中に身を置くことこそ、私が求めていたことでした。
が。。。
何にしてもポーランドの旅はなかなかワイルドです。
ずっと以前から、シャファルニアに行きたいです!と周囲のピアニストや友人たちに声を大にして言っていたのですが、誰もが何の興味も示さず、音楽家でなければ、どこだそれ?と地名すら聞いたことがない風でした。
知っている人でも、わざわざ行くなんてまっぴらごめん!と面と向かって言われるほど。
要は。。。。
私たちショパンにノスタルジーを感じる者でなければ、まったく何もないただの農村なのです。唯一、5月に開催されているヤングエイジのためのショパンコンクールは、さすがに有名です。
ワルシャワからトルンまでの列車はとても快適なエクスプレスで、足台もあるし、PCやスマホ用の電源まであり、車内販売も来るし、食堂車もあって、かなりヨロシイ。
問題はその先です。トルンを降りてからが、これはもうポーランド語がわかってもなかなか大変。
まず。。。乗ったタクシーは、例によって冷房なし。その上この暑さというのに、なぜかトラ模様のふかふかのカバーがご丁寧にも座席にかぶせてある。いったいどういうセンスなのかしら。
「シャファルニアまで100ズゥオティ出せば行くよ。」
とオジイサン運転手さんが言ってくれたけど、この熱波の炎天下、冷房なしで風にびゅーびゅー吹かれながら、1時間もアンティーク車ですっ飛ばされるのは、いくら何でも我慢の限界を超えるというものです。
「いえ、バスの駅までで結構です。」ときっぱり。
さてそのあと、バスに揺られること1時間半。
そのバスは最小限の冷房がきいていたので、えらくゆっくり進みますが、ちょっとお昼寝しつつ、どこまでも広がる農村の風景を眺めながら、ようやく目的地のGolub-Dobrzynに到着したのでした。
シャファルニア村までは、さらにここからタクシーで20分くらいかかりました。
もう一度言うのですが。。。
そうなのです!
ショパンも見たであろう農村の風景とさして変わらぬこの景色こそ、私が求めていたものなのです。
楠原祥子

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