ブコフスカ先生のお墓参りへ
今回は先生に会いに行こう!と日本を出発するときから思っていました。
「ねぇ、マチェック、先生が亡くなって何年になるかしら。」
「9年だよ。来年は10年になるね。」
あれからもう9年。。。
さて、音楽祭からクラクフを経由してワルシャワに戻ってすぐ翌日、お墓参りに行きました。
ワルシャワでお墓といえば「ポヴォンスキ墓地」です。ワルシャワの北の方にあり、ショパンの両親もここに眠っています。
先生のお墓は有名人が眠るお墓のひと区画にあり、すぐそばには、『スモレンスクの悲劇』として知られる、ポーランド大統領をはじめ政府高官、軍の関係者など80名近くが乗った飛行機がスモレンスク空港で着陸に失敗して全員が亡くなり、その犠牲者の碑とお墓があります。
またブコフスカ先生と同時期に活躍されたピアニスト、レギナ・スメンジャンカや作家、スポーツ選手のお墓などが周りに並んでいます。
まず入口でお花とロウソクを買って、そのお花がいやに重かったので、お墓の近くまで車で行くことにしました。
何度か行ったから覚えています。そうそう、ここだわ。
水を汲んできて、マーゴーシャが用意してくれた🧼掃除道具やスポンジやブラシでせっせせっせときれいに磨きます。
土台の大理石はブラシでゴシゴシ。グランドピアノ型の黒い御影石も鏡のように光るまで綺麗に磨き上げて、その間に先生とお喋りして、これでよしっ。
先生が亡くなられた年の夏、車でマチェックと3人でレストランに立ち寄りました。先生は鳥のレバーを注文して、私はカツレツだったかアイスバインだったか忘れましたが、美味しく頂いてから車に戻ったのでした。
その頃先生は糖尿性の視力低下でほぼ完全に視力を失い、マチェックの介添なしには外を歩くことは全くできませんでした。少し西へ傾きはじめた太陽が照りつけ、強い風も吹いていました。
突然先生が、
「あら、ショーコ、あなたは今髪が長いのね。風になびいているのが見えるわ。」
え?!
「はい、少し前から長くしています。」
「そうだよ、ショーコは前から長くしているよ。」とマチェック。
先生は私のことが見えたのかしら。。。
それはとても不思議な夏の午後の出来事でした。
今思えば、亡くなったのはその年の12月でしたから、何か一瞬奇跡のようなことが起きたのかもしれません。
ブコフスカ先生の演奏はキッパリとした潔さがありました。手は鍵盤の上でだいたい平たく開いて指も伸びた状態で、滑るようにそのまま移動していたことははっきりと記憶にあります。
ショパンのエチュードOp.25-1エオリアンハープのレッスンの時に、「音や音楽はそれでいいけれど、手や腕が左右に動きすぎている」と指摘を受けたことがありました。私は腕も一緒に動かした方が、左右の手が開いて音域が広い時に弾きやすかったけれども、その動きがスピードや滑らかさを妨げていたのだろうと思います。
あまり多くを教え込むことはなかった先生ですが、指使いとペダリングについては事細かい注意がありました。なんで、指使いとペダルばっかりなのかしら?と当時は思ったけれども、結局その二つはとても重要だと後年になって痛感したのでした。
今回マチェックがプレゼントしてくれた、ラヴェルのピアノ協奏曲の先生のCD!聴いてみたら、う〜ん、すごい!とまたもや再認識でした。
こうして考えてみると、レッスンでももちろんですが、先生の演奏や、後年日本に来日されてマズルカの講座を日本全国で行い、通訳として同行した時に非常に多くのことを吸収できたと感じています。
ポーランドに留学という一粒の種が、芽を出して、ゆっくり育ってやがて緑の葉をつけることができたのは、魂はブコフスカ先生のそばにありたいといつでも思っていたから、いえ、今でも思っているからに他ならないと思うのです。
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